TURN4「一夜が明けて」

「うー……、ふわああ……、っと」
 長鳴鶏の宿の真白いベッドで勢いよく跳ね起きて、フレアロットは大きくのびをした。
 勢いついでに、猫のように口をめいっぱい開いてあくびをひとつ。
 品性のない振る舞いはするなと教えられてきたフレアロットだが、さすがに寝起きなら見咎める人もいないだろうと思っているため、幼少のころについたこのクセは直っていない。
 完全に無防備な状態でぼーっと辺りを見回して、自分以外の寝台が4つあるのに気付く。
「……あれ?」
 首をかしげて、ふわりと木苺の巻き毛が右目にかかり、頭をかるく振った。
 見慣れない木製の壁。無理やりベッドをつめこんだせいで、足の踏み場が少ない狭い部屋。
(ええと……ここ、どこだっけ?)
 エトリア、世界樹、ギルドメンバー。
 三つの単語が思い浮かび、そして一気に目が覚める。
(うわ、見咎める人、いまくりじゃないか……っ!! お、起きてないよな?見られてないよな??)
 ぽやーっとしていた顔を慌てて引き締め、左右に一つづつと正面に二つある寝台の気配をうかがう。
 正面のうち扉に近い寝台はもぬけの空だった。レンジャー、ブレスがいたはずだ。弓や帽子も見あたらないので、どこかへ出かけたのだろう。まだ早朝だというのに忙しい人だ。
(まあ、リーダーなんだしあんなすごい弓持ってるんだし、忙しいぐらいでいいんじゃないか)
 金髪碧眼への評価は辛いフレアロット。
 見られてしまったかどうか、それ以上の興味はないので、次。
 正面のもうひとつ、窓に近い寝台には、リザンが眠っていた。フレアロットのようにシーツがばさばさと乱れておらず、きちんと口を閉じて静かな寝息をたてている。
(寝姿までちゃんとしてるな。ほんと、すごいなリザンさんは)
 精悍な顔立ちと穏やかな雰囲気に加え、立ち振る舞いも騎士の鏡のようだ。自分のシーツをそそっと整えながら、口あけて寝るのも直さないといけないな、とひとつ心に誓う。
 右の寝台。コイツが起きていたらものすごく嫌だなと思いながら顔を向けるが、幸い安らかな寝息をたてていた。ほっと安堵するとともに、こちらを向いてシーツに伏したその横顔に目がとまる。
 すっと通った鼻梁、アッシュブラウンの長い睫毛、同色のつり気味の眉。半開きでさえなんだか様になっている、整った口元。先入観ナシに見れば、おそらく美形だろう。が。
(いっそ、ずっとこうして静かにしてればいいのに)
 あの毒舌では、この見た目も嫌味要素にしか思えない。ほんとに、色々台無しな衛生士だ。
 と、背を向けたほうの寝台でわずかにシーツの衣擦れが聞こえた。
 そっと振り返ると、黒髪の少年がぼーっと窓の向こうの朝焼けを見つめていた。
 狼のようなもさもさの長い髪が、昨日と同じく無軌道にはねている。髪は梳かしていないのだろうか、とフレアロットは小さな疑問を持った。
 「あとでクシを貸してみようかな」と思っていると、少年はひとつ浅い溜息をつき、窓から目を背ける。窓の反対は、隣……フレアロットの寝台。身を起こしていたフレアロットと目が合って驚いたのか、柘榴色の目を一瞬見張った。
「おはよう。シェズ」
 にこりと笑いかけるフレアロットに、シェズは口を開きかけるが……いけない、というようにその口を引き結び、無表情を作る。そして笑顔を振り切るようにシーツをぱたぱたと畳みだした。
 いままで何度フレアロットが話しかけても、シェズの反応は同様だった。完全に避けられている。
(……やっぱり、シェズにも嫌われてるのかなあ)
 シェズが他のメンバーとも会話しているのも見たことはないが、リザンさんの問いかけには時々頷いたりしている。自分への反応は、何か、違う気がする。
(……嫌われるのは、慣れてる。うん、こんなの、いつものことだし)
 そう、故郷の金髪碧眼どもの言動に比べれば、無視されるくらい大したことない。
『なんだ、その茶色の細い腕?南国の踊り子か?』
『パラディンに剣技なんて必要ないだろう。満足に盾も使えないくせに』
『戦争がなくなってよかったな、ラングスティール。戦場でそんな目立ちすぎる髪のお前が配属されるのは、夜の世話係くらいだろうからな?』
 せせら笑う、奴らの声。
 今もまだ鮮やかに痛みがよみがえる言葉が脳裏を駆けて、ぎり、と奥歯を噛みシーツを握り締める。
(金髪碧眼の、何が偉いんだ。母上と似ているこの容姿を、馬鹿にしていいほど偉いのか。盾技と体力で踏みとどまるだけがパラディンじゃないはずだ。素早さと腕力を生かして、何が悪いんだっ……)
 フレアロットの様子を、シェズは申し訳なさそうに案じる瞳で見つめていた。……それは、うつむいて視界の両側を木苺の髪に覆われた、フレアロットの瞳には映らなかった。
「……はよ」
 その空気を破ったのは、そっけないくせに無駄に艶のある声だった。
 現実に引き戻され、フレアロットはほっとして息を吐く。昨日散々嫌味だと思ったその声でさえ、記憶の数々に比べればひどくありがたい。
「おはよう、ヘヴンリィ」
 安堵のあまり、振り向きざまに先刻と同じように笑いかけてしまった。不機嫌そうな奴の紫の半眼と視線がかち合い、慌てて笑顔を引っ込める。
(やばい、やってしまった……!)
 昨日この部屋へ戻ってきたヘヴンリィはおそろしく不機嫌そうで、一言も声をかけられなかったのだ。そんな相手に、翌朝笑顔で挨拶するなんて完全に間違っている。
「あ、あの……昨日は、ごめん……。いや、すまなかった。暴言を吐いてしまった非礼を、詫びさせてはくれないだろうか」
 自分の無礼に慌てるあまりしどろもどろになりつつ、ぺこりと頭を下げるフレアロット。
 ヘヴンリィは半眼のまま、少し眠たげな不機嫌顔で、だがちゃんと向き合ってそれを聞いていた。頭を下げてふわりと舞った木苺の髪が落ち着いたころに、ばさりとアッシュブラウンの髪をかきあげながら口を開く。
「……。今日は無駄な怪我すんじゃねえぞ、お嬢様」
 いくぶん穏やかな声だったのに、余計に付け足された『お嬢様』にフレアロットはかちんときた。
 睨みつけようと顔を上げると、寝台はもう空だった。リザンとブレスの寝台の間にあるサイドテーブルに置かれた水差しに口をつけ、左手を腰にあてて豪快に水を飲んでいる。
「無駄な怪我じゃないし、いちいち僕を愚弄するなっ!それと、水はちゃんとグラスに注いで飲んだらどうなんだ!!メンバーみんなが飲むものなんだぞ!!」
「朝っぱらからうるせーな。高貴なお育ちの方はお上品でいらっしゃいますね……あぁ、それとも」
 吠えるフレアロットに眉をひそめて毒づいたヘヴンリィは、ふっと思いついた顔をして流し目をつくった。形の良い唇を水差しの縁に寄せて、にいっと笑う。
「間接キス、お気になさいますか?お嬢様」
 様になっているその艶やかな笑みは、一瞬綺麗だと思ってしまった自分ごとあざ笑われているようで、とてつもなく嫌味だった。
「なっ…………、ふ、ふざけるなっ貴様っ!!今すぐそこになおれ!叩き斬ってやるっ!!」
「叩き斬るのはさすがに困るな、フレアロット。おはよう、ヘヴンリィ。シェズ。……ブレスはどうしたんだ?」
 フレアロットが真っ赤になって寝台のそばにあった剣を掴んだ瞬間、図ったようなタイミングでリザンが起き出した。その爽やかな笑顔と穏やかな声に、フレアロットの頭に上った血がすっとおさまる。
「おはようございます、リザンさん」
「はよ、リザン。ブレスはオレが起きたときからいなかったぜ」
 笑顔で答えるが、ブレスのことには口を出さないフレアロット。注意にも関わらず、相変わらず水差しから水を飲みつつ答えるヘヴンリィ。
「ま、朝8時には潜るっつってんだし、それまでには戻んだろ」
 そのとき、装備を着込み終えたシェズが寝台を降りてヘヴンリィの傍らに行き、その袖を引いた。
 見上げるシェズに、ヘヴンリィはグラスに水を注いで差し出す。シェズはそれを受け取り、そのまま振り返ってフレアロットへ差し出した。
「へ?ぼ、僕に?」
 相変わらずの無表情で、シェズはこくりと頷く。フレアロットが礼を言ってグラスを受け取ると、シェズは不可解そうな顔のヘヴンリィから水差しを借り受け、三つのグラスにこぽこぽと水を注いだ。
 ひとつをリザンに渡す。自分の分なのだろう、左手にグラスをとったシェズは柘榴色の瞳で見上げながら、ヘヴンリィに水差しを返す。
「……あぁ、そーゆーことか」
 シェズの無言の抗議に合点がいったのか、ヘヴンリィは大きく嘆息した。水差しを置いてかわりにグラスの水を一気に飲み干し、シェズの頭をぽんと柔らかく叩く。
(……もしかして、援護……してくれたのか?)
 嬉しさにフレアロットがほうっと呆けていると、もさもさの黒髪の少し上にある紫の瞳と目が合った。あわててゆるんでいた顔を整え、ひといきにグラスの水を飲んで仕度に取り掛かる。
(あいつ……ヘヴンリィはどうあれ、シェズには、嫌われていないのかもしれない)
 些細なことだけれど――それだけで、フレアロットの口の端に笑みがこぼれた。
 今日も、自分なりにがんばって守ろう。自分以外のメンバーが傷など負わぬ様に。
 また昨日のように嫌味を言われるのだろうけど、誰も傷つかないならそれでいい。そのくらい、たいしたことない。
 装備を整え、最後にぱちり、と小気味良い金属音でベルトの留め具に剣をくくる。黒い刀身が納まっているその濃紺の鞘を、ファルシオン……愛馬の背にそうするように、ひとつ叩いた。
(今日も頼むよ、黒い魔剣。……その切れ味は怖いけどね)
 怖くとも、元一軍のパラディン……スズさんが自分に託した剣だ。そして、これを上手く使いこなせなくては、今日は昨日以上に命に関わる。
 元一軍が後継者達に提示した二日目の目標は、およそ無謀ともいえるほど危険なもの。
 「第一階層の親玉、スノードリフトを倒せ」だった。