TURN5「黒の旋律:前編」

「怪我すんじゃねえって、何度言えばわかんだよ。言語理解も出来ねーのかよお嬢様」
「いちいち『お嬢様』をつけて舌打ちしながら出した指示が、聞き入れられると思うのか?」
「……なんか昨日より開き直ってねーか、お前」
「二日も聞いてれば、嫌でも慣れるだろっ」
 打撲傷にキュアをかけながら半眼で聞いたヘヴンリィに、フレアロットは言い返した。……が、実際はその嫌味に慣れたわけじゃない。腹を立てている余裕がないだけなのだ。
 むしろ、相変わらずのヘヴンリィの態度がすこし羨ましくもある。
(というか、強敵が控えてるんだから、これくらいの傷にTPを使わないほうがいいんじゃないのか……)
 黒い皮手袋といくつもの銀の指輪をした手から、キュアの治療光が消える。
 傷を癒すほの温かい光とその光景は何度見ても違和感だらけだが、見た目の違和感という点では、おそらく自分も同じだろう。
 娘と間違われる女顔で、細い体躯に重装備コンポジットアーマーをまとい、黒い魔剣をふるう自分。
 小柄なシェズやほんのわずかだけ背の高いヘヴンリィはまだしも、長身のリザンやブレスを「守る」役割を担っているとは思われないに違いない。
 しかし、いかに外見が頼りなく見えたとしても、今の自分は高名なギルドの一軍パラディン。そのギルド……グランドクロスの名に恥じぬ戦いをしなくてはならない。
 他の誰かが傷つき倒れるなどという事態は、いかなる強敵との戦いにおいても、あってはならないのだ。そう、フレアロットは思っていた。
(……他人をどうこう思ってる場合じゃ、ないよな……。僕は、僕の心配をしよう。僕はメンバーの盾なのだから)
 木苺の巻き毛を揺らして面を上げたフレアロットだが、その瞳の翳りはぬぐいきれずにいた。

 ヘヴンリィの言ったとおり、ブレスはほどなくして宿に戻ってきた。アリアドネの糸や簡易食料など、探索に必要な物資を買い揃えて。
(……ま、リーダーなら当たり前だろう。うん、当たり前。やっぱり喋らないし)
 一瞬感心したフレアロットだったが、心の中でそうつぶやいて納得した。
 先人の地図を手にしながらの探索と戦闘は、昨日よりも順調に進んでいる。
 昨日いくらか深めの手傷を負った敵、フォレストウルフは、周囲の敵よりも手ごわい「F.O.E」と呼ばれる魔物らしい。その徘徊位置も、丁寧に地図に記されていた(昨日は、何の印なのか分からなかったが)。
 地図を見ながら歩を進めているフレアロットは、5Fの中央付近に記された赤い印と「スノードリフト:手下乱入注意!炎が有効!!」という走り書きを目にして、改めて姿勢を正した。
 もともと姿勢はよいのでたいした変化はないが、ぴんと伸ばした背筋には少しの緊張感がはりついている。
 今日の目標は、元一軍が地図に注意書きを書き込んだほどのその敵に、戦いを挑むこと。凍てつく牙と鋭利な爪は、油断をすると手馴れの冒険者でも苦戦を強いられる強敵だとの話だった。
「ま、君達ならだいじょうぶだって。面倒な敵は二軍が露払いしといたから、レベル上げながらさくっと行って来な♪」
 夕食の席でアキラさんは笑ってそう言ったが、フレアロットは大丈夫だとは思えないでいる。
(昨日の今日で、大物を相手にするほどの力があるのか?)
 不安が剣の勢いを欠き、昨日は一撃で屠れた敵に攻撃を避けられ何体かを討ち損じていた。そのたびに隣のヘヴンリィのクリスタルロッドが魔物を片付け、戦闘後には嫌味かキュア。
 正直なところ、フレアロットは自信が持てずにいた。
「……スノードリフト、か」
 呟いたフレアロットの背を、隣を歩くリザンがぽんとひとつ叩く。見上げると、カラメルの茶色をした瞳が細められた。
「すぐに戦うものでもないさ。まずは、ここに慣れるのが先決だろう?」
 柔らかく響く低音の声と精悍な笑顔は、ほんとうに見事だとフレアロットは思う。人を落ち着かせる才は戦場において重要な資質だが、そうそう誰もに備わっているものではない。
「そうですね。ありがとうございます」
「礼はいらないよ、フレアロット。……そうだな、ならひとつ頼みを聞いてくれないか?」
「えっ?は、はいっ、何ですか」
「次の戦闘では、俺が先陣を切るよ」
 歩みを止めないまま言ったリザンの頼みに、フレアロットは顔を曇らせる。
「……そうですよね、すみません」
 3Fに降りてきているが、相変わらずリザンの出番は無いままだった。さすがに気を悪くしたのだろうと、思わず声が暗くなる。
 すると、リザンはふっと微笑してかぶりを振った。
「いや、そうじゃないんだ。少し引いたところから、俺達の陣形や戦い方の欠点を見てくれないか」
「え?」
「ブレスが状況を見て的確に敵を射抜いてくれているが、彼は複数人での戦闘はあまり経験が無いらしい。俺も、実はなんどか護衛をした程度しか実戦経験が無くてな。騎士学院にいたフレアロットなら、そういった戦法に詳しいだろうと思ったんだが、どうかな?」
「……はい、戦法は得意教科でしたっ。謹んで先鋒を譲りますっ!」
「そうか、良かった。よろしく頼むよ、フレアロット」
「はい!」
 元気の良い返事に、リザンは爽やかに微笑んで前方を向き、扉を開ける。……と、その表情にさっと警戒がはしった。
「早速来たか。すこし大きいな」
「……いえ、すこしっていうか昨日はこんなの見ませんでしたよねっ!?」
 扉を開けた先の広間には、ゆうに2mを超える大きさの巨大なカマキリが二対鎮座していた。
 慌ててフレアロットが地図を見ると、通るべき道ではないところに現在いる場所であろう広間と、紫色の印が二つ記されていた。
「道間違えてんじゃねーか、馬鹿お嬢様」
 それを後ろから覗いたヘヴンリィがぼやく。
 ……話しながら歩いていたので、道の確認を怠っていた。さすがに反論できず、フレアロットは眉を下げて地図を手早く懐へしまう。
「どうする。戦るのか?ブレス」
 黒い大剣――ドヴェルグの魔剣を構えたリザンの問いに、ブレスは無言のまま俊敏に矢をつがえ、一体に向けて続けざまに三本放った。
 そのあざやかな弓さばきを初めてまともに目にし、フレアロットは息をのむ。そして、矢の描く軌跡を目で追う。
 はたして、その矢は引き寄せられるように一体のカマキリの片目を穿った。突然の奇襲に、後翅をばさばさと扇形に広げ威嚇体制をとりながら二体はこちらへと猛進をはじめる。
 向かい来る二対の魔物へ切り込むべく飛び出そうとしたフレアロットを、さっと傍らの腕が制止した。
「約束しただろう?俺が行くよ」
「け、けどっ!」
「これくらいやれないようじゃ、スノードリフトになんて挑めないだろう?なに、肩慣らしさ。大丈夫だよ」
 頼もしい微笑を浮かべたリザンの横顔には、穏やかだが有無を言わせぬ強さがあった。
「……はい」
 頷いて、フレアロットは半歩下がった。
「リザンが前に出んのか。お嬢様より安心だな」
 右手に白くきらめくクリスタルロッドを携えたヘヴンリィが余計な一言を残し、目を打たれた一体へと向かって地を蹴る。白いエンジェルローブと線の細い姿は戦いに向きそうには見えないが、その動作は意外と隙が無かった。
 ――真っ先につっこんでいたことで、こんなにもメンバーの動きが見えていなかったのか。
 ブレスが切り込む自分の背後で放つ矢の威力は、アーチドロワーの性能だろうと思っていた。
 ヘヴンリィの攻撃もクリスタルロッドの破壊力によるもので、奴が傷を負わないのは自分が敵をひきつけているからだと思っていた。
 ……どちらも、とんだ思い違いだ。二人は自分が思っていたよりも、はるかに戦闘に長けている。
 自身の視野が狭かったことを知り、フレアロットは奥歯をぎり、と噛みしめた。そして、自分の後ろにいるアルケミスト、シェズがごつい篭手を構えるのを目にする。
 術式を、使うつもりだ。
 一般的に、どんな方法であれ術式の起動には集中力が要るものだと聞いている。一歩退いていて良かったと、フレアロットは思った。
(守らなくては。僕が、この盾で)
 意を決し、聖騎士の盾を構えたフレアロット。その耳に、意外な音が飛び込んでくる。
 それは……およそこの戦場とは場違いな、澄んだ旋律だった。