TURN7「金の采配」

「……ご婦人、おかわりくださいっ!」
 4日前と同じ光景が、金鹿の酒場にあった。
「もう止めたほうがいいんじゃないの?」
 困ったような微笑を浮かべながらも、店主の婦人は僕に新しいエールのジョッキを差し出す。
「いくら彼らの後継とはいっても、樹海に慣れているわけじゃないもの。 組んだばかりのパーティなら、なおさらのことだわ」
 諭すような、優しい声。
 あたたかな気づかいに心が和むが、僕は婦人の言葉に頷くわけにはいかなかった。
「……でも、何かあってからじゃ、遅いと思うんです」
「……それは、そうだけど」
 口ごもる婦人からジョッキを受け取って一目礼をした僕は、窓の向こうのエトリアの街路へ目を移す。
 きれいに磨かれた窓ガラスの先には、これから樹海へ向かうのだろう、装備を整えた五人の男女が連れ立って歩いていた。
 斧をかついだ年若いソードマンの女の子と、重そうな医療カバンを小さな肩に抱えたメディックの女の子がおしゃべりしつつ歩いている。その後ろに、黒のボンテージに身を包んだダークハンターの青年。リュートと弓を携える男性は、バードだろうか。
 そして、皆をまとめるようにしんがりで温厚そうな笑みを浮かべている、大柄な重装備の男性。
(……パラディン、だよな)
 聖騎士向けにあつらえられた大きな盾は、少しの違和感もなくその人の一部に見える。
 談笑する五人。和やかな空気には、互いの信頼や安定感が感じられた。
 ……あんな空気のメンバーなら、迷宮はどれだけ心躍るものなのだろう。今の僕には、はるか遠い夢物語のように感じる。
「……他人を羨むものじゃないわ。あなたには、あなたの良さがあるはずよ?」
 僕の視線の先に気付いたのだろう。婦人のいたわるような声が、むしろ痛く感じる。
 ありがとうございます、と口にできなくて、複雑な顔でジョッキをあおる。そのとき、からころと来客を告げる扉のベルが背後とおくで鳴った。
「おはよう、サクヤさん。特製ジュース2つ……って、あれ、珍しい先客だね」
 低音の女性とも、優男とも取れる若い声がベルの音につづく。
 入り口へ目を向けると、濃い蜂蜜色の髪に黒い眼帯が印象的な元レンジャーと、綺麗なボブカットを揺らして笑う元パラディンがいた。
 ジョッキを置いて、おはようございます、と頭を下げる。
「おはよう。おかえり、フレアロット君」
「おはよう、フレアロット君。『おはよう』って時間じゃないけどね」
「まったくよ、スズ。あなたたち、また二日酔いなの?」
 とがめるような婦人の声に、苦笑するスズさん。
「もう、後輩の前で地雷踏まないでよ。せっかく頭痛をこらえてスマイルしてるのに」
「そんな努力、普通の人はいらないでしょう。 困った英雄さまね」
 小気味よい会話をかわす女性ふたりのやりとりを背に、僕の隣の椅子に腰を下ろし、アキラさんが笑顔を向けた。
「今日も無事でよかったよ、後継者諸君」
 砕けすぎず、それでいてすこしだけユーモアを含んだ涼やかな響き。
 満足のいく探索ができていれば、きっと笑って返事ができたのだろう。
「……、はい」
 しかし、僕は言葉をにごして頷くしかできなかった。
 ……ここで胸を張って返事ができるような働きができていれば、僕達はまだあの迷宮の中にいたはず。こんな早い時間に帰ってきてなどいないのだ。
 そのことを知ってか知らずか、差し出された特製ジュースを飲みながら、アキラさんは上機嫌そうに僕に問いかける。
「敗戦を期したような怪我もないしなぁ。 ぱぱっと片付けてきちゃった? スノードリフト」
 スノードリフト。
 今日の目標だったはずのその名を聞いて、申し訳なさに息が詰まった。
「……いえ……」
 ……そこまで、行けませんでした。
 重い息を吐き、次の言葉を言おうと口を開いた瞬間。ぱしんという打音が響き、アキラさんの頭がカウンターに沈んだ。
「アキラ、意地が悪すぎ。 いいかげんにしないと本気で殴るわよ」
「ええ、今の本気だろスズ姉? じゃなきゃどんだけ怪力……」
「ああもう、黙りなさいこの性悪ドS馬鹿」
 烈火のごとき非難とともに再度アキラさんの頭を叩いたスズさんは、はあ、とひとつため息をつき、眉の険をといて心配そうな顔で僕へ向き直った。
「……ごめんね、フレアロット君。 この時間に帰ってきてるってことは、今日潜ってきたのは3Fくらいまでよね。なにがあったの?」
 最初からお見通しだったのだと思い、情けなさで心が沈む。けれど、僕をのぞきこむスズさんのアイスブルーの瞳は、心底僕らのことを心配していた。
「大きな外傷やTPの消費があったわけでもないし……ケンカでもしたの?」
 違う。ケンカというか、いざこざがあったのは、むしろ昨日。今日帰ってきた原因は、……全面的に僕にある。
 苦い思いをこらえて、僕は口を開いた。
「……実は……」
 道を間違えて、カマキリ二体のいる広間へ足を踏み入れてしまったこと。その戦闘での様子と、僕が避けきれずに致命傷を負ったこと。戦闘後にブレスが勝手にアリアドネの糸を起動して、強引に探索を終わらせたこと。
 それらをかいつまんで話し終え、僕は重いため息を吐きだした。
 僕の左横に座るアキラさん、その隣に座るスズさん。
「……そっか」
「なんというか……おつかれさま」
 呟いた二人へ向けて、僕は深々と頭を下げる。
「すみませんでしたっ」
 精一杯の思いを込めて僕は謝罪をしたが、
「え?」
「なんで、フレアロット君が謝るの?」
 アキラさんとスズさんからは、不思議そうな返事が返ってきた。
「え?? いや、だって」
「まあ、フレアロット君が道を間違えたところは謝ってもいいよ。でも、そこぐらいだろ?」
「フレアロット君たちのレベルでカマキリ二体と戦って、誰も戦闘不能にならなかったんでしょ。十分に上出来だと思うわ」
 僕を責めるどころか、首をかしげる歴戦の元一軍ふたり。
「でも、ヘヴンリィが怪我して……」
 明らかに僕の力不足だったところを言いつのるが、アキラさんは「そんなこと、なんでもないって」と明るく笑い飛ばした。
「怪我ぐらい、普通普通。うちのナオキなんか、怪我どころか散々ヤられてたよねぇ?スズ姉」
 ナオキ……元一軍のリーダーであるソードマンの名が出て、スズさんは綺麗な眉を思い切りしかめた。
「ハルのリザレクションがあればいいのよ、あんな特攻馬鹿。突撃剣士の面倒なんか見てられないわ」
「スズ姉はナオキに厳しいもんなぁ。いつもバックガード優先だったし」
「なによアキラ、ナオキの味方するつもり?私が厳しいんじゃなくて、あいつが馬鹿なだけよ。なりふりかまわず突撃するやつに、フロントガードする必要なんてないわ」
「まあ、ナオキが突撃馬鹿なのはいつものことじゃん。少しは大目に見てやんなよ」
「あの馬鹿は、痛い目見なきゃ直らないのよ。大目に見たら、それこそ手のつけられない馬鹿になるわ」
「おーこわ。スパルタ教育だねえ」
 苦い顔で熱弁するスズさんと、肩をすくめるアキラさん。その話が意外だった僕は、ぽかんと口をあけて二人を見た。
 スズさんの腕が超一流のパラディンであることは、世界樹を踏破したというギルドの実力からも、その動きを見た僕の目からも伺える。スズさんがひとたび盾をかざして皆を守れば、負傷や戦闘不能などありえないのだろうと思っていた。
 しかし、「散々ヤられてた」「リザレクションがあればいい」という言葉が示す状況は、明らかに僕が考えていたものじゃない。……そういう、ものなのか?
 目をしばたたいている僕に向かって、アキラさんが微笑む。
「……ね、パーティなんてこんなもんだよ、フレアロット君。それぞれの長所を生かして、短所を補う。君が手を抜かずにみんなを全力で守ったんなら、恥じる必要なんかないってこと」
「そうよ。ヘヴンリィ君は前衛だったんでしょう?シェズ君を気にかけていたなら、守れないのは当然よ」
 肩をぽんぽんとアキラさんに叩かれ、スズさんに優しい声をかけられる。
 その心遣いはとても嬉しかったが、僕の心は晴れなかった。
 すべてを守れる、完璧な盾などないのかもしれない。それでも、僕の失態は変わらないことだ。
「ありがとうございます。……けど、すみません。僕は、やはり自分の力不足だと思います」
 頭を下げて素直にそう言うと、アキラさんとスズさんは、苦笑してため息をついた。
「なんていうか……真面目すぎるねえ、君は」
「ほんとね。……あのね、フレアロット君。高い理想を持つのは、とてもいいことよ。けど、それに捕らわれたら技の向上どころか、ただの枷にしかならないわ。なんでも一人で背負おうとしないで、少しは仲間を頼りなさい」
 少し怒ったようにも聞こえるとても真摯な声で、僕をまっすぐ見て、スズさんは言う。
「………………はい」
 わかる。わかるけど、僕は快く頷けなかった。
 浮かない顔をしているのを自覚しつつ、再度頭を下げる。
 『仲間を頼る』……普通のギルドメンバーなら簡単なことかもしれないが、僕にとっては、それが今一番難しいこと。
 それを察してくれたのか、アキラさんが笑って、また肩を叩いた。
「まあ、焦ることないさ。知り合ったばっかりなんだし、のんびりいけばいいよ」
「そうね。でも、あなたはのんびりしすぎよ、アキラ。今日の買出しまだでしょう」
「はいはい。昨夜の酒盛りで、今まで動けないような二日酔いに巻き込んだのは誰だったっけなあ」
「それはそれ、これはこれよ。……ということで、そろそろ失礼するわね。がんばってね、フレアロット君。相談ごとがあったら、いつでも南通りの本拠地にいらっしゃい。みんな歓迎するわ」
「うん、たまには遊びにおいで」
 元一軍と二軍メンバーの何人かは、南通りにある小さな二階建ての家――通称「本拠地」に住んでいた。宿の施設でなければ傷の治りが遅いため、探索していないメンバーがそこで寝泊りするところと聞いている。リザンさんは顔を出したことがあると言っていたが、僕はまだ行ったことがなかった。
(相談に行くのは、陰口たたくみたいで嫌だけど……こんど、挨拶には行ったほうがいいかも)
 そう思いながら、はい、と答えると、二人は笑って店を出ていこうとした。
 席を立ち二人を見送っていると、戸口でふいにアキラさんが振り返る。
「あ、最後にひとつだけ。フレアロット君は、ブレス君が強制的に迷宮を出たこと、怒ってるかな?」
「えっ、……なんでそれを」
 いきなり図星をつかれて、僕はどきりとした。
 確かに、すごく腹が立った。僕の怪我を治したヘヴンリィの治癒術はものすごく上手くて、そのまま探索を続けてもなんら支障はなかった。なのに、僕らに何も言わず、勝手に糸を使ったのだ。
「その部分を話してるとき、ほんのすこし棘が見えたからさ」
 態度に出ていたのか……。すぐ感情が言動に出るらしいんだよな。気をつけないとな……
「…………はい。とても理不尽でした」
 この人に隠し事をしても無駄だろうと思い、僕は素直に打ち明けた。
「それ、彼なりの優しさだと僕は思うよ。ブレス君は一流のレンジャーだ。弓の扱いはもちろん、状況判断や退き際の読みにもすごく長けてる。無口で無愛想だけど、悪い奴じゃないよ」
「……そうですか」
 アキラさんの言葉を、僕は受け入れられなかった。苦い声で、返事をかえす。
 退き際。つまり、回復後の僕がそれだけ頼りなかったってことだろう。それ以前に、無口の金髪碧眼なんて信用できない。元一軍に決められたメンバーでなければ、そもそも一緒にいたくないのだ。
「ま、のんびり分かればいいことさ。それじゃ、またね~♪」
 濃い蜂蜜色の髪をなびかせて去る元一軍――英雄のひとりであるレンジャーを見送り、僕は残っていたエールをひといきに飲み干す。
 お勘定を手渡す際に婦人が心配してくれたが、もう酔いは完全に抜けていた。
(明日からは、勝手に帰還させられないように戦ってやる。これ以上、見くびられてたまるか)
 ひとつ心に闘志を誓い、剣の鍛錬をするべく、僕も金鹿の酒場亭をあとにした。